パノハ弦楽四重奏団はこの10数年、草津夏期国際音楽祭において、ハウス・カルテットとしてその年のテーマに合わせてウィーン・クラシックからチェコの近代の曲まで、あるいは弦楽五重奏曲やピアノ五重奏曲といった作品ではほかのプロフェッサーと共演してきました。
僕が彼らと録音を開始したのは、1999年6月、スメタナの第1番のカルテット「わが生涯より」ホ短調と第2番のニ短調の収録でした。当時は彼らが共産圏時代のチェコのレーベル、スプラフォンに、ドヴォルジャークの初期の作曲者が生前は公開しなかった作品も含めた弦楽四重奏曲14曲の完全全集を録音していて、日本コロムビアからそのライセンス盤が出ていたので、即ドヴォルジャークを録音するのにためらいがありました。が、彼らの演奏を毎年聴いているうちに、やはりドヴォルジャークは独特の哀愁を帯びた音色と歌心があって、1970年代のスプラフォンの録音と違って成熟してきたグループの最高潮の時期に作曲者が出版社「ジムロック」から正式に自分のカルテット集として出版した7曲と、有名な歌曲を弦楽四重奏曲に編曲した「糸杉」(ツィプレッセン)を改めて収録したいと決心し、都合10数年かけて、今回やっと7曲目の「弦楽四重奏曲 第8番 ホ短調」をスプラフォン時代から彼らが使ってきたDomovinaのスタジオを使って収録しました。
このスタジオは、いわばプラハの文化センターのひとつで、ウィーンのカジノ・ツーガニッツと同じ形で広さも良く似た舞踏会場として昔はよく使われていたものと思われるホール。板目の床と響きの美しいホールです。同時に今回はブルーレイ・ディスクのために、ハイサンプリングの録音をどうしても残しておきたかったヘ長調 作品96の「アメリカ」とあだ名される有名な曲も再録音を試みました。
ただ、この建物の地下は以前は映画館だったのですが、その映画館がつぶれて、いつの間にかボクシングや格闘技のジムのトレーニング・センターに貸し出されていて、ウィークデイの日中はサンドバックを打ったり、バーベルを落とす音がスタジオに入ってきて、録音に使えない日も出てくる始末。結局、朝8時スタートで11時までのセッションを2日やって、土曜日、日曜日はジムが休みだったので、集中してレコーディングを重ねましたが、神経的には我々もミュージシャンも集中がそがれ、苦労してセッションを終えました。
という訳で、今回はカレル橋を歩く暇もなく、観光は一日市内のミュステル周辺でボトムラインというCDショップに行ったり、いつも行くビアハウスで美味しい地ビールを一度飲んだだけの録音ツアーに終わりました。次は旅行者として一度来てみたいものです。
写真:録音風景。音を決めている。
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