‘その他’ カテゴリーのアーカイブ

【追悼】ウェルナー・ヒンク/井阪紘

2024 年 6 月 12 日 水曜日

ウェルナー・ヒンクウェルナー・ヒンクウェルナー・ヒンク

今年5月に他界されたヴァイオリニスト、ウェルナー・ヒンク氏と50年以上にわたり協業を続けてきた弊社代表取締役社長、およびレコード・プロデューサーの井阪紘からヒンク氏への追悼メッセージが、滞在中のウィーンより寄せられました。
弊社スタッフ一同、ウェルナー・ヒンク氏にあらためて哀悼の意を表し、メッセージを掲載いたします。

ウェルナー・ヒンクの死は、私たちにとって最も悲しい知らせだった
井阪紘
(カメラータ・トウキョウ 代表取締役社長/レコード・プロデューサー)

ウィーン弦楽四重奏団(1964)ウィーンには室内楽を楽しむ永い永い伝統があり、戦後でもアメリカ人の作った「ウェストミンスター」というレーベルに、バリリ四重奏団やウィーン・コンツェルトハウス四重奏団が数多くのレコーディングをしていて、日本人の多くの人が、そのレコードを愛聴してきた。
1960年代に入って、その活動に陰りが見えてきたときに、1964年にウェルナー・ヒンクたちが創った「ウィーン弦楽四重奏団」が、その伝統を継ぐようにスタートした。
コンツェルトハウス四重奏団の成した仕事で一番偉大だったと思えるのは、シューベルトの弦楽四重奏曲全集だった。この録音の初期の弦楽四重奏曲は、当時、正確なエディションが見つかっていなくて苦労したという話を、我々のレコーディング・セッションを見に来てくれたコンツェルトハウス四重奏団のチェリスト、フランツ・クヴァルダ本人から聞いた。

CMCD-99059ウィーン弦楽四重奏団とは、RCA時代に「死と乙女」「ロザムンデ」、最後のト長調の弦楽四重奏曲あたりまでは録音したが、残りの曲を録りたいと思っても、録音経費とレコードの売上が見合わないと、会議で論議されただけだった。シューベルトの弦楽四重奏曲全集は「カメラータ」というレーベルを立ち上げた最初に私が取り組む仕事だと思って始めた。
幸いにも、録音が磁気テープの録音から、デジタル録音に変わる時代で、日本ビクターのプロ録音用のレコーダーをアピールする必要があって、15kg以上もある重い実験機材をウィーンに持参することを許可して運搬の航空運賃も半分負担してくれることとなった。録音エンジニアもいない私は、ウィーン大学のトーン・マイスターの教授にレコーディングのエンジニアを依頼したのだが、録音初日に「行けない」と急に言われて、バウムガルテンというスタジオ付の名エンジニア、カミコフスキー氏のヘルプで、仕方なく自分でマイク・セッティングをして録ったのが、カメラータとヒンクたちの最初の共業、シューベルトの「死と乙女」の録音であった。
アナログ時代、30cmの磁気テープ録音では、38cm/secでテープを回しても、30分しか録音できない。1枚のレコーディングに20本のテープを使うのは通常であり、その時は現地で基本的なテープ編集をして、残したテープをコピーを録ってもらった上で船便で送る。そんな方法で仕事をしていたのを覚えている。

ヒンクたちとのシューベルトの弦楽四重奏曲全集は、このように最初期に行われたデジタル録音で、録音を終えウィーンから帰国する際には、収録したUマチックのテープをLP2枚分の録音でも10本から12本に収めて持ち帰れた。
こうして始まったヒンクたちと私とのシューベルトの弦楽四重奏曲の全曲録音は、4~5年かかって完成したが、すべてはシューベルトの創作に奉仕した音楽活動のつもりであった。

CMCD-99059そこから、ヒンクの柔らかく優しく弾くヴァイオリン演奏を、どう音楽に残していけるかを考え、最終的に遠山慶子さんとのモーツァルトのヴァイオリン・ソナタの録音に結びついた。2人のデュオでは最初にシューベルトのソナチネ全曲ベートーヴェンのソナタ「春」なども録っていたが、時間がかかってもウィーンのバウムガルテンにあるベーゼンドルファーのピアノを使って丁寧に1曲ずつ録ると決めて準備を始めた。
これは、ヴァイオリン・ソナタ選集としてセットにまとめて出すこともできたので、2人の仕事に感謝しているが、これも比類なく優れたヒンクの演奏に助けられている。

草津で行われている音楽アカデミー&フェスティヴァルの開催期間は、ザルツブルク音楽祭の真っ最中なので、1996年になるまでヒンクは参加を遠慮していたが、なんとか他のコンサートマスターと調整して行けるようにスケジュールを組むと宣言して、草津に来るようになり、特に美智子上皇后とは都合8回もそこで共演する栄誉をいただいている。それは上皇后様が、遠山慶子のパートナーであるヒンクに対して敬意を持たれていたこともあったと思う。

ウェルナー・ヒンクがウィーン・フィルのコンサートマスターを辞したのは2008年だったが、その年のニューイヤー・コンサートに、プレートルが指揮するにあたって第1コンサートマスターを引き受け、出演した公演は華やかで印象的だった。
2018年頃から急に音程等が確かでない状態になり、コロナの頃の2020年に入院して癌を発見。それでも快方に向かっていたが、この春に喉への転移が判明した。5月21日昼、やっと自宅に戻り、午後を家族と過ごし、その夜、眠るように亡くなった。

一緒に音楽にかかわって、家族同様に付き合って来ただけに、こんな素晴らしい音楽家を失って、私には言う言葉がない。

2024年6月11日 ウィーンにて

写真:(C) Wilfried Kazuki Hedenborg

【訃報】作曲家 篠原眞さん

2024 年 3 月 5 日 火曜日

篠原眞2024年3月3日、日本を代表する現代音楽作曲家の篠原眞さんが永眠されました。92歳でした。

篠原さんは1931年大阪市生まれ。東京藝術大学で池内友次郎、パリ国立高等音楽院でオリヴィエ・メシアン、ケルン国立音楽大学でベルント・アロイス・ツィンマーマン、ケルン市立音楽院でカールハインツ・シュトックハウゼンらに師事しました。

その後はパリ、ミュンヘン、ケルン、ベルリン、ローマ、ニューヨーク、モントリオールなどでの滞在を経て、オランダ・ユトレヒトのソノロジー研究所と日本を主な活動の拠点として作曲活動を続けました。作風は多岐にわたりますが、箏や尺八などの邦楽器を取り入れた作品や、電子音楽やテープ音楽などの前衛的な手法による作品を数多く発表しました。

弊社スタッフ一同、ここに慎んで哀悼の意を表し、安らかな眠りにつかれますよう、お祈り申し上げます。

篠原眞 ディスコグラフィー
コゥオペレーション/篠原眞 作品集(CMCD-50041)
電子音楽の領域/篠原眞 作品集 II(CMCD-50042)
菊地悌子 十七絃箏の世界(CMCD-25042)
リコーダー・ソロ名演集/クナイス(CMSE-136)

【2/26】弊社電話回線の障害につきまして

2024 年 2 月 26 日 月曜日

平素より、カメラータ・トウキョウをご利用いただきまして、誠にありがとうございます。

弊社が契約している電話回線の通信障害のため、本日 2月26日(月)午前頃から弊社への電話が繋がりにくい/切断されるなどの障害が発生しております。

大変お手数ですが、お問い合わせ等は弊社の問い合わせフォーム、
http://www.camerata.co.jp/contact_us.php
およびメールのご利用をお願いいたします。
info@camerata.co.jp

お客様および関係各社の方々には大変ご迷惑をお掛け致しておりますが、復旧までもうしばらくお待ちください。

年末年始の営業のお知らせ

2023 年 12 月 22 日 金曜日

初日の出師走の候、ますます御清栄のこととお喜び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。

さて、まことに勝手ながら、弊社は2023年12月29日(金)から2024年1月4日(木)年末年始休業とさせていただきます。
年末年始休業中に弊社ホームページにてご購入を受け付けました音楽ソフトやコンサートチケット等は、2024年1月5日(金)より順次発送いたします。
なお、積雪等の影響により、一部の地方では配送の遅延等が発生する場合がありますので、ご了承のほどをお願いいたします。

●弊社ホームページでのCDご購入受付
12月28日(木) 以降受付分 ⇒ 2024年1月5日(金)以降順次発送

●CDショップ様からの弊社へのオーダー受付
12月28日(木) 11:00まで受付分 ⇒ 12月29日(金)に出荷
12月28日(木) 11:00以降受付分 ⇒ 2024年1月5日(金)以降順次出荷

来年も変らぬお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。

弊社代表 井阪紘が文化庁長官表彰を受賞

2023 年 12 月 13 日 水曜日

2023年12月12日、文化庁から令和5年度の文化庁長官表彰の被表彰者が発表され、その一人として弊社代表取締役社長、および弊社レコード・プロデューサーの井阪紘が選ばれました。

井阪の功績概要および選考理由は、「永年にわたり、クラシック音楽のプロデューサーとして活躍し、後進の育成にも努め、我が国の芸術文化の振興に多大な貢献をしている」(文化庁長官表彰名簿より)とされております。

文化庁長官表彰の詳細につきましては、文化庁の報道発表、および報道発表/表彰名簿のPDFをご覧ください。

【訃報】作曲家 西村朗さん

2023 年 9 月 12 日 火曜日

西村朗2023年9月7日、日本を代表する現代音楽作曲家の西村朗さんが永眠されました。69歳でした。

西村さんは1953年大阪市生まれ。東京藝術大学卒業、同大学院修了。学生時代からアジアの伝統音楽や宗教、宇宙などに強い関心を抱き、「ヘテロフォニー」と呼ばれる技法を用い多数の作品を発表しました。

その独自の音楽観は各方面より高く評価され、日本音楽コンクール作曲部門第1位(1974)、エリザベート国際音楽コンクール作曲部門大賞(1977、ブリュッセル)、ルイジ・ダルラピッコラ作曲賞(1977・ミラノ)、尾高賞(1988,92,93,2008,11,22)、中島健蔵音楽賞(1990)、京都音楽賞実践部門賞(1991)、日本現代芸術振興賞(1994)、エクソンモービル音楽賞(2001)、第3回別宮賞(2002)、第36回サントリー音楽賞(2005)、第47回毎日芸術賞(2005)等、多数の賞を受賞。2013年には紫綬褒章を受章しました。

また、2000年からいずみシンフォニエッタ大阪の音楽監督、2010年から草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルの音楽監督としても活躍。東京音楽大学では後進の指導にも努めました。その親しみやすい人柄から、ラジオやテレビへの出演も多く、NHK-FM『現代の音楽』(2003〜09、2015〜)や、NHK Eテレ『N響アワー』(2009〜12)で司会者としても活躍されました。

カメラータからは「西村朗 作品集」シリーズをはじめ多数のCDをリリース。2002年度芸術祭大賞に『エイヴィアン[鳥]…アルディッティ SQ プレイズ西村朗』が、2005年度芸術祭優秀賞に『メタモルフォーシス─西村朗室内交響曲集』が、2015年度同賞には『ブルーノ・カニーノ・プレイズ 西村朗』が選ばれました。

西村さんは晩年も精力的に作曲活動を続け、2019年には石川淳の小説を原作にしたオペラ「おん物語」、今年7月には「三重協奏曲〈ちょう〉」が初演されたばかりでした。

弊社スタッフ一同、ここに慎んで哀悼の意を表し、安らかな眠りにつかれますよう、お祈り申し上げます。

西村朗 ディスコグラフィー
永遠なる渾沌の光の中へ/西村朗(CMCD-50021)
蓮華化生~西村朗 管弦楽作品集【西村 朗 作品集1】(CMCD-20016~17)
残光…西村 朗:ヴァイオリン協奏曲 第1番【西村 朗 作品集2】(28CM-522)
迦楼羅…西村 朗 管弦楽作品集【西村 朗 作品集3】(28CM-523)
時の陽炎…三橋貴風 プレイズ 西村 朗 【西村 朗 作品集4】(28CM-644)
エイヴィアン[鳥]…アルディッティSQ プレイズ 西村 朗【西村 朗 作品集5】(28CM-524)
ヴィシュヌの化身…高橋アキ プレイズ 西村朗 【西村朗 作品集6】(CMCD-15024~5)
西村 朗:魂の内なる存在/西村 朗 協奏曲集【西村 朗 作品集 7】(CMCD-28058)
西村朗:メタモルフォーシス ― 西村朗 室内交響曲集 【西村朗 作品集 8】(CMCD-28084)
オパール光のソナタ/碇山典子 プレイズ 西村 朗 【西村 朗 作品集 9】(CMCD-28083)
西村 朗:秘密〜マニの光 西村 朗 管弦楽作品集【西村 朗 作品集 10】(CMCD-28126)
西村 朗:幻影とマントラ/西村 朗 管弦楽作品集【西村 朗 作品集 11】(CMCD-28147)
旋回舞踊─超絶技巧ソロ 佐藤俊介 プレイズ 西村 朗/西村 朗 弦楽器作品集 【西村 朗 作品集 12】(CMCD-28152)
西村 朗:オーケストラのための〈蘇莫者〉/大阪センチュリー交響楽団、沼尻竜典【西村 朗 作品集 13】(CMCD-28199)
西村 朗 室内楽作品集 ヌルシンハ[人獅子]…西村 朗 室内楽作品集【西村 朗 作品集 14】(CMCD-28217)
東京シンフォニエッタ プレイズ 西村 朗 第1集/虹の体【西村 朗 作品集 15】(CMCD-28282)
東京シンフォニエッタ プレイズ 西村 朗 第2集/天女散花【西村 朗 作品集 16】(CMCD-28283)
いずみシンフォニエッタ大阪 プレイズ 西村 朗/沈黙の声【西村 朗 作品集 17】(CMCD-28290)
西村朗 四神/インデアミューレ&いずみシンフォニエッタ大阪【西村 朗 作品集 18】(CMCD-28359)
アルディッティSQプレイズ 西村 朗/シェーシャ[聖蛇]【西村 朗 作品集 19】(CMCD-28364)
ケチャ…彩色打楽…西村 朗 作品集/パーカッション・グループ 72(CMCD-50008)
カール・ライスター プレイズ 西村 朗(CMCD-28221)
迦楼羅(かるら)──オーボエ・ソロ/トーマス・インデアミューレ(CMCD-28184)

※その他の西村作品収録アルバムはこちらをご覧ください。

【訃報】舞台写真家 林喜代種さん

2023 年 9 月 12 日 火曜日

林喜代種2023年9月7日、舞台写真家の林喜代種さんが永眠されました。80歳でした。

林さんは大分県出身。大学卒業後、1970年代初頭よりフォークやロックのカメラマンとして撮影活動を開始。1974年に雑誌『ギター・ミュージック』にて初めてクラシック関係の撮影を手がけ、1980年代からはクラシック音楽を中心に、邦人および来日アーティストの舞台写真、ジャケット写真やアーティスト写真、雑誌・新聞のインタヴュー記事の写真などの撮影を多数手がけました。

草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルには1980年の第1回より記録写真家として参加。今年8月に行われた第43回アカデミー&フェスティヴァルでも撮影を担当されていました。また、弊社のアルバムジャケットやコンサートのフライヤーにも、数多くの素晴らしい写真を提供していただきました。

長年の撮影活動が評価され、2019年には第29回日本製鉄音楽賞(旧新日鉄住金音楽賞)特別賞を受賞。(公社)日本写真家協会会員としても活躍されました。

弊社スタッフ一同、ここに慎んで哀悼の意を表し、安らかな眠りにつかれますよう、お祈り申し上げます。

「一柳慧さん お別れの会」の開催について

2023 年 5 月 1 日 月曜日

一柳慧永きにわたり現代音楽の旗手として最前線で活躍してこられた作曲家・ピアニストの一柳慧さんが亡くなられて半年ほどたちました。すでに葬儀、告別式はご親族の方々で執り行われましたが、この度、一柳さんと共に時代を過ごしてきたご友人、仕事を通して様々なご縁のあった関係者、そして一柳さんの音楽に親しんでいらっしゃる皆様が集い、下記のとおり一柳さんを偲ぶひと時を持ちたいと存じます。皆様に謹んでお知らせいたします。

《一柳慧さん お別れの会》

■日時:2023年5月8日(月) 午後5時30分 開会(受付開始 午後5時)
■会場:サントリーホール ブルーローズ(東京都港区赤坂1-13-1)
※当日は平服でお越しください。
※ご出席のご連絡は不要です。
※お香典、御供花等は謹んでご辞退申し上げます。
※本会についてのお問い合わせは下記へお願い申し上げます。

以上

2023年4月

■「一柳慧さん お別れの会」実行委員会
公益財団法人神奈川芸術文化財団
公益財団法人サントリー芸術財団
公益財団法人セゾン文化財団
株式会社カメラータ・トウキョウ
ショット・ミュージック株式会社
株式会社東京コンサーツ

■お問い合わせ:公益財団法人神奈川芸術文化財団 総務課 045-633-3695

年末年始の営業のお知らせ

2022 年 12 月 21 日 水曜日

初日の出師走の候、ますます御清栄のこととお喜び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。

さて、まことに勝手ながら、弊社は2022年12月29日(木)から2023年1月4日(水)年末年始休業とさせていただきます。

年末年始休業中に弊社ホームページにてご購入を受け付けました音楽ソフトやコンサートチケット等は、2023年1月5日(木)より順次発送いたします。
なお、積雪等の影響により、一部の地方では配送の遅延等が発生する場合がありますので、ご了承のほどをお願いいたします。

来年も変らぬお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。

休業、出荷、年末年始

【訃報】作曲家 野田暉行さん

2022 年 9 月 20 日 火曜日

野田暉行2022年9月18日、作曲家の野田暉行さんが永眠されました。享年82歳でした。

野田暉行さんは1940年、三重県津市生まれ。1959年に東京藝術大学に入学し、作曲を池内友次郎、矢代秋雄、島岡譲、指揮を渡辺暁雄ら各氏に師事。1967年大学院修了後、2007年まで藝大にて教授、副学長、理事等に就き、新実徳英氏、西村朗氏ら多くの後進を育てました。学外でも日本音楽コンクール委員長、全日本学生音楽コンクール委員長等を歴任しました。

手がけた作品はオペラ、交響曲協奏曲室内楽、邦楽、合唱曲等多岐にわたり、1997年には国立能楽堂にて能「高山右近」を初演しました。2000年には作曲家の会「21世紀音楽の会」を結成。代表および名誉顧問を務め、作曲家たちに交流や創作の機会をつくるために尽力しました。

弊社スタッフ一同、ここに慎んで哀悼の意を表し、安らかな眠りにつかれますよう、お祈り申し上げます。

野田暉行 ディスコグラフィー
野田暉行:交響曲 第1番(CMCD-50016)
ピアノ協奏曲(CMCD-50005)
「庭園にて」/野田暉行 作品集 II(30CM-344)
モノドラマ〜野田暉行 ピアノ作品集/岡田博美(pf)(CMCD-28016)

※その他の野田作品収録アルバムはこちらをご覧ください。