レコーディング・ニュース(2012年/三重)

世界初録音!カール・チェルニーが弟子フランツ・リストに捧げた「48のプレリュードとフーガ」の全曲録音!!

2012年5月29日~31日,9月25日~27日,11月27日~28日/三重県立総合文化会館

チェルニー:48のプレリュードとフーガ

 今回は久しぶりに神谷郁代とのレコーディング。70年代から80年代にかけて、彼女がRCAに数多くのレコーディングをしていた時の担当プロデューサーは私であった。従って、彼女の能力のすべてを知り尽くしているといっても過言ではないから、「48のプレリュードとフーガ」の楽譜を手にした時、この曲を録音するとすればウィーンではドリス・アダム、日本なら神谷郁代と決めていた。
 
 この作品はほとんど知られておらず、三省堂から出版されている『クラシック音楽作品名辞典』にも載っていない。日本で唯一のチェルニーについての伝記、『カルル・チェルニー~ピアノに囚われた音楽家』(グレーテ・ヴェーマイヤー/著 岡 美知子/訳 音楽之友社)には、詳しい著述はないが、291頁バッハの「平均律クラヴィーア曲集」の校訂版の著述の項にチラリとこの作品の名前がでてくる。
 出版譜の表紙のすべてを訳すと、『クラシック・スタイルにおけるピアニスト』 作品856。『すべてのクラシック音楽を完璧に演奏するための予備練習として、ピアノフォルテのために24の長調と短調で書かれた48のプレリュードとフーガ。 ― フランツ・リスト博士に献呈』とある。
 チェルニーは1791年2月20日、現在ウィーン空港のあるシュヴェヒャートで生まれ、1800年にベートーヴェンのところに連れて行かれて弟子となる。1805年頃からはピアノ教師となり、その弟子にフランツ・リストがいる。1857年6月15日ウィーンで死去。この『プレリュードとフーガ』は最晩年の作品である。
 ヴェーマイヤーの著作では、バッハの校訂版のところでチラリと触れているだけで、実際にこの楽譜をつぶさに見ていないのでは?と思ったりもするのだが、ともかくチェルニー晩年の集大成された曲集である。
 私の手許の楽譜はウィーン楽友協会アーカイヴに保存されている出版譜のコピーである。手書きのオリジナル譜面はウィーン楽友協会にはないようだ。
 チェルニーはピアノ教本の中で、フーガの演奏について、 (1) つねに主題を際立たせる。 (2) 出来得るだけ早いテンポで…。 (3) 全部レガート、つまりアーティキュレーションなしで演奏する。と指示しているのは興味深い。
 実際、録音していて10度の指使いを要求する場面が数多くあって、今日のピアノでは演奏が不可能に近いパートもある。
 当時のピアノフォルテは、高弦でも弦は1本であったから太いハンマーは必要ではなく、したがって鍵盤の幅も今よりは狭かったから10度は可能だったのだろう。
 神谷さんは京都芸大の教授のポジションを2011年に辞して、時間がとれると踏んでこの録音を引き受けてくださったが、練習を始めてすぐにこれは大変なことになったと驚き、幾度となくギブアップしようかと迷ったに違いない。ともかく、丸一年間、朝起きては夜寝るまで、ひたすらチェルニーの「プレリュードとフーガ」ばかり弾いている生活だったと告白してくださった。申し訳ないと思う。でも、前人未踏の峰に誰かが分け入って、どんな作品かを紹介する必要があり、それに挑戦するファイトが彼女の中にまだまだあるという証となった。
 私もレコーディングの最中は神経を一点に集中して、幾度も弾かせるような過酷な労働を強いないように配慮し、音楽的にも検討しながら演奏の材料が集まったと思った時点でストップをかけ、難しかった最後の二日間のセッションでは、その場で編集して彼女のOKを取るように時間を使った。
 録音は東京から離れて三重県の津にある三重県総合文化会館の大ホールを、都合8日間3回に分けて使わせていただき収録した。
 調律は吉永有介さん。ピアノはスタインウェイ。エンジニアは高島靖久。アシスタントと編集は久保田大気。すべては彼らの素晴らしいチームワークの結果である。
 ホール・スタッフの方々や事務所の皆様にも心から感謝したい。

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