カメラータ・トウキョウ 演奏家プロフィール |
| パノハ弦楽四重奏団 PANOCHA QUARTET |
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![]() パノハ弦楽四重奏団は弦楽器王国ともいうべきチェコの誇る、代表的な弦楽四重奏団である。往年のスメタナ弦楽四重奏団の育ての親、ヨゼフ・ミツカ教授の弟子達によって結成され、1971年に正式に活動を開始した。以後1975年のプラハでの国際弦楽四重奏コンクールにおいての優勝を皮切りに、ヨーロッパ全土、またアメリカ、カナダ、日本、イスラエルほかにおいても定期的に演奏会を行い、エジンバラ、ザルツブルク、プラハ等の国際フェスティヴァルに参加している。 録音にも積極的で、そのレコードは多くの賞を受賞。特に1983年にはマルティヌーの弦楽四重奏曲第4番、第6番の録音に対してパリでアカデミーシャルル十字勲章を受賞している。ドヴォルジャーク、スメタナ、マルティヌー、ヤナーチェクなどのチェコの音楽に重点をおいて活動しているが、広範囲にわたる彼らのレパートリーにはハイドン、モーツァルト等のウィーン古典派やロマン派の作品、そしてバルトーク、ショスタコーヴィチといった近・現代の作曲家までも含まれる。 パノハ弦楽四重奏団は現代の世界の有力カルテットの多くと同様、切れ味のよいアンサンブルの呼吸の持ち主であるが、その響きには現代風の冷たいタッチとは一線を画し、ボヘミア独特の練り絹の手触りとでも言える、曰く言い難いしなやかな感触があるのが大きな特徴である。1980年に初来日し、その後も来日を続け、近年では草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルに毎年出演。舞台に上るたび、完璧な技巧と温かみ溢れる音色で聴衆を魅了している。 カメラータからは、ドヴォルジャークの第10番&第14番、第12番「アメリカ」&第11番、スメタナの「わが生涯より」&ゾンマーの第1番、ライヒャ:ホルン五重奏曲&クラリネット五重奏曲、ドヴォルジャーク:弦楽四重奏のための「糸杉」が発売されている。 [メンバー] ●イルジー・パノハ(第1ヴァイオリン) 1950年、クラドノ生まれ。8歳よりヴァイオリンを始め、はやくも10歳でオーケストラと共演してデビュー。12歳でブラティスラヴァの青年創作活動コンクールに優勝、翌年からミツカ教授に師事。1966年から1972年までプラハ音楽院に在学。はじめに三重奏団を結成したが、1968年にパノハ弦楽四重奏団を結成。独奏者としては1969年のチェコ文化省主催独立50周年記念コンクールに優勝し、国内外で多くのリサイタルを行った。さらにプラハ音楽院学生室内オーケストラのコンサートマスターとしても卓抜な才覚を示し、1972年に西ドイツで行われたカラヤン主宰の室内オーケストラのコンクールで第1位金賞を獲得、さらにカラヤンの指揮のもとに行われたコンサートマスターのコンクールでも優勝した。1972年からプラハ音楽アカデミーでスメタナ弦楽四重奏団のアントニン・コホウトに師事。研鑚を重ねる。 ●パヴェル・ゼイファルト(第2ヴァイオリン) 1952年、プラハ生まれ。2歳の頃から天才的な音楽性をあらわし、歌を楽しみながら、音楽学校のピアノ・クラスに入学。あるとき聴いたパノハのヴァイオリンに衝撃を受けて、11歳でヴァイオリンを始め、1967年から1972年までプラハ音楽院に在学、パノハと同じくチャペク、ミツカ教授に師事し、1968年からパノハ弦楽四重奏団に参加、1972年から1977年までプラハ音楽アカデミーで学ぶ。多才なゼイファルトは13歳でテレビ番組の主役を演じたが、パノハの三重奏団が弦楽四重奏団に拡大されるとき、ミツカ教授の説得で第2ヴァイオリン奏者となり、現在に至っている。 ●ミロスラフ・セフノウトカ(ヴィオラ) 1952年、プラハ生まれ。7歳からヴァイオリンを始める。その後ミツカ教授の勧めでヴィオラを始め、普通中学・高校に通いながらボミール・マリー教授に師事。卒業後、1970年から1977年までプラハ音楽アカデミーでスメタナ弦楽四重奏団のミラン・シュカンパに師事。病気で辞めたフルージュの後を受けて、1971年以来パノハ弦楽四重奏団の一員となった。 ●ヤロスラフ・クールハン(チェロ) 1950年、チェスケー・ブジェヨビツェ生まれ。11歳から本格的に音楽を学ぶ。R.ビーザにチェロの手ほどきを受けた後、1966年からプラハ音楽院で学ぶ。在学中は、室内オーケストラのソロ・チェリストとして活躍し、1968年からパノハ弦楽四重奏団に参加、1972年からはプラハ音楽アカデミーに進む。チェコ・フィルのヨセフ・ネコラのもとで室内楽を学び、プラハ音楽院、音楽アカデミーを通じてヨセフ・フッフロに師事した。 |
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