カメラータ・トウキョウ 演奏家プロフィール

ハンスイェルク・シェレンベルガー(オーボエ/指揮)
Hansjörg Schellenberger, oboe / conductor

 1948年ミュンヘンに生まれ、レーゲンスブルク近郊で育つ。6歳で初のリコーダーのレッスンを受け、13歳からオーボエのレッスンを受ける。17歳のときにドイツの音楽コンクール「ユーゲント・ムジィツィールト」で1位になり、奨学生としてアメリカのインターローケン国際ミュージックキャンプに参加。1967年にアビトゥア(大学入学資格)を取得し、ミュンヘン工科大学で情報学を専攻しながら、並行してミュンヘンとデトモルトの音楽大学で、指揮をマーティン・シュテファーニ氏に、オーボエをマンフレッド・クレメント氏とヘルムート・ヴィンシャーマン氏に師事。1971年にケルン放送交響楽団のオーボエ奏者となり、1975年から同交響楽団のソロ・オーボエ奏者。1972年にミュンヘン国際音楽コンクールのオーボエ部門第2位。1977年からベルリン・フィルにエキストラとして参加するようになり、1980年9月からベルリン・フィルのソロ・オーボエ奏者を務める。2001年夏、30年間のオーケストラ活動に終止符を打ち、指揮者、ソリストならびに室内楽奏者としての活動に集中するため、ベルリン・フィルのソロ・オーボエ奏者の職を離れた。1983年から1997年まで、後にミュンヘン・フィルの総裁になった同僚のベルント・ゲラーマンとともに、ベルリン・フィルの録音、放送担当理事を勤めていた。
 すでに学生時代から積極的に現代音楽に取り組んでおり、1968年にはミュンヘンのコンサート・シリーズ、「現代の音楽」を共同設立。それにより、数多くの現代作曲家と知り合い、頻繁にオーボエ作品の世界初演を行うようになる。
 ソリストとして、リッカルド・ムーティ、ヘルベルト・フォン・カラヤン、クラウディオ・アバド、ジェイムズ・レヴァイン、ネヴィル・マリナーなど多くの指揮者と共演。1983年、同じベルリン・フィルに在籍していたカール・ライスターやウィーン・フィルのメンバーと共にアンサンブル・ウィーン=ベルリンを共同設立し、1990年にはハイドン・アンサンブル・ベルリンを設立している。
 1995年より指揮者としての活動を再開し、指揮とソロを一人で務めることもある。指揮者としての活動が増える中、エルサレム交響楽団、フィレンツェ歌劇場管弦楽団、コムニダッド・デ・マドリード管弦楽団、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ管弦楽団、ローマ・サンタチェチーリア管弦楽団、スペイン国立管弦楽団、カメラータ・ザルツブルクなど、多くのオーケストラを定期的に振っている。
 1981年から1991年までベルリン芸術大学のオーボエ科で教鞭を執っていた。ベルリン・フィルでソロ・オーボエ奏者を務める間(1980〜2001年)は、ヘルベルト・フォン・カラヤン・オーケストラ・アカデミーでオーボエと室内楽を教えた。1988年から1999年まで毎夏、シエナの「アカデミア・キジアーナ」でオーボエと室内楽のマスター・クラスを担当。他にも、ニューヨーク、東京、オスロ、アムステルダムなど世界各地でマスター・クラスを開く。2000年秋より、マドリッドの「ソフィア王妃高等音楽院」の教授としてオーボエを指導し、夏にはスペインのサンタンデルでサマー・コースを開催。
 これまでに録音したCDは50枚以上にのぼり、主にドイツ・グラモフォン、ソニー・クラシカル、デンオン、オルフェオといったレーベルからリリースされている。
 1997年に「ハンスイェルク・シェレンベルガー音楽制作有限会社」を設立し、“カンパネラ・ムジカ”レーベルで多数の録音をリリースしている。1999年には、「マルタン―ルトスワフスキ―イベール:コンチェルタンテ集」が、ドイツ・シャルプラッテン賞の四半期リストに採り上げられた。

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